今週は主の受難を覚える週です。心を静め、みことばに耳を傾けながら、祈りの時を持ちましょう


十字架の出来事

"さて、十二時から午後三時まで闇が全地をおおった。
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
そこに立っていた人たちの何人かが、これを聞いて言った。「この人はエリヤを呼んでいる。」
そのうちの一人がすぐに駆け寄り、海綿を取ってそれに酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けてイエスに飲ませようとした。
ほかの者たちは「待て。エリヤが救いに来るか見てみよう」と言った。
しかし、イエスは再び大声で叫んで霊を渡された。"
マタイの福音書 27章45~50節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会


【祈り】

聖(きよ)くあられる主なる神よ。

あなたの御子イエス・キリストが、
十字架の上で、全き従順をもって苦しみを受けられたことを、
私たちは、恐れをもって心に刻みます。

闇が全地を覆い、時が静まり返ったそのとき、
御子は叫ばれました――
「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と。

その御声は、裂けるような痛みのうちにありながら、
なおあなたに向けられていました。
御子のうめきと叫びの奥深く、
あなたの愛と義とが、静かに燃えていたことを思います。

人には理解しきれぬその御業を、
私たちはただ伏して仰ぐのみです。
罪深い人間のために、
あえて十字架を選ばれた御心の深さに、
ただひれ伏します。

主よ、
御子の死においてあらわされたあなたの義を覚え、
御霊によって、
私たちの心を整え、砕き、
あなたの前に正しく歩ませてください。

御子のいのちによって与えられた恵みにふさわしく、
私たちもまた、己を捧げる者とならせてください。

尊く、崇められる主、
あなたの御名が、今も、永遠にも、あがめられますように。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。


最後の晩餐時

(2025/04/17)

"さて、種なしパンの祭りの最初の日に、弟子たちがイエスのところに来て言った。「過越の食事をなさるのに、どこに用意をしましょうか。」

イエスは言われた。「都に入り、これこれの人のところに行って言いなさい。『わたしの時が近づいた。あなたのところで弟子たちと一緒に過越を祝いたい、と先生が言っております。』」

弟子たちはイエスが命じられたとおりにして、過越の用意をした。

夕方になって、イエスは十二人と一緒に食卓に着かれた。

皆が食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに言います。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ります。」

弟子たちはたいへん悲しんで、一人ひとりイエスに「主よ、まさか私ではないでしょう」と言い始めた。

イエスは答えられた。「わたしと一緒に手を鉢に浸した者がわたしを裏切ります。

人の子は、自分について書かれているとおりに去って行きます。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。そういう人は、生まれて来なければよかったのです。」

すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが「先生、まさか私ではないでしょう」と言った。イエスは彼に「いや、そうだ」と言われた。

また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」

また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。

これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。

わたしはあなたがたに言います。今から後、わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは決してありません。」

そして、彼らは賛美の歌を歌ってからオリーブ山へ出かけた。"

マタイの福音書 26章17~30節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会


【祈り】


天の父なる神様、


あなたの愛と恵みに感謝します。私たちのためにイエス様をお送りくださり、彼が最後の晩餐で示してくださった真実と愛を心に留めます。


イエス様が弟子たちと共に過越の食事を祝われたように、私たちもあなたとの交わりを深めることができるよう、心を開いてください。聖餐を通して、イエス様の体と血を思い、彼の犠牲に感謝することができますように。


私たちの中にある裏切りや弱さをあなたの前に置き、赦しを求めます。どうか、私たちの心を清め、あなたの愛で満たしてください。私たちが他の人を愛し、助け合う存在になれますように。


困難な時を迎えている人々を思い、彼らのためにお祈りします。あなたの慰めと平和が彼らに届き、希望を持ち続けることができますように。


この祈りを、私たちの主であるイエス様の御名によってお捧げします。


アーメン。


水曜日の出来事

2025/04/16

ユダの判断

 

"さて、十二人の一人であるイスカリオテのユダは、祭司長たちのところへ行った。イエスを引き渡すためであった。

彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすればイエスをうまく引き渡せるかと、その機をうかがっていた。"

マルコの福音書 14章10~11節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会」

 

【祈り】

 

愛する神様、

 

今日、私たちがあなたの言葉を理解できるように助けてください。イスカリオテのユダがイエスを裏切ったことを思うとき、私たちも心の中にある誘惑や弱さを感じます。どうか、私たちがあなたに忠実で、他の人を裏切ることがないように守ってください。

 

私たちもユダのような道を選ばず、愛と誠実を持ってあなたに仕えられるようにしてください。あなたの愛と許しを思い出し、日々の生活でその恵みを周りの人と分かち合えますように。

 

イエス様の名前で祈ります。アーメン。


エルサレム入場

おはようございます。

 

"娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。"

旧約聖書 ゼカリヤ書 9章9節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

"「娘シオンに言え。『見よ、あなたの王があなたのところに来る。柔和な方で、ろばに乗って。荷ろばの子である、子ろばに乗って。』」

そこで弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、

ろばと子ろばを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。そこでイエスはその上に座られた。

すると非常に多くの群衆が、自分たちの上着を道に敷いた。また、木の枝を切って道に敷く者たちもいた。

群衆は、イエスの前を行く者たちも後に続く者たちも、こう言って叫んだ。「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」

こうしてイエスがエルサレムに入られると、都中が大騒ぎになり、「この人はだれなのか」と言った。

群衆は「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言っていた。"

マタイの福音書 21章5~11節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 

 

愛する天の父よ、

 

あなたの御言葉(みことば)に感謝します。私たちの王、イエス様が、柔和で謙遜な姿で私たちのもとに来てくださったことを心から喜びます。イエス様は、雌ろばの子であるころばに乗ってエルサレムに入られ、私たちに平和と希望をもたらしてくださったことを思い起こします。

 

今、私たちはイエス様の受難を思い、心を静めます。イエス様が私たちのために十字架を背負い、苦しみを受けられたことを忘れず、感謝の気持ちを新たにします。どうか、私たちもその愛に応え、謙遜と悔い改めの心を持って歩むことができますように。

 

どうか、私たちの心を開き、あなたの御心に従うことができるよう導いてください。娘シオンのように、私たちも喜び、叫びます。「ホサナ、ダビデの子に!」あなたの恵みと祝福が、私たちの生活に満ち溢れますように。

 

私たちが、あなたの光を周囲に示し、他の人々にイエス様の愛を伝えることができますように。困難な時も、あなたの愛と導きを信じ、感謝の心を持って歩むことができますように。

 

私たちの心を清め、あなたの栄光を表す器として用いてください。イエス様の柔和な姿勢を見習い、愛と謙遜をもって他者に仕えることができるよう、助けてください。

 

イエス様の御名(みな)によって祈ります。

アーメン。



 

ピリピ人への手紙 2章5~11節(新改訳2017)

 

5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。

6 キリストは、神のかたちであられる方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、

7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間の姿になられました。人としての性質をもって現れ、

8 自らを低くし、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。

9 それゆえ、神はこの方を高く上げ、すべての名にまさる名をお与えになりました。

10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものが、ひざをかがめ、

11 すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。

 

ピリピ2章5~11節に基づく祈り

 

天の父なる神様。御子イエス・キリストが私たちのために示してくださった深いへりくだりと従順のゆえに、心から感謝いたします。主イエスは神であられるにもかかわらず、ご自身の栄光にとどまることなく人となられました。僕(しもべ)の姿をとってこの世に来てくださり、私たちを救うために十字架の死に至るまで御心に従い通してくださったことを覚え、感謝いたします。

 

また、父なる神様、あなたがキリストを死者の中から復活させ、すべての名にまさる御名をお与えになったことを崇めます。今やあらゆるものがイエスこそ主であると告白し、キリストにあってあなたの栄光が現されています。この尊い救いと勝利の御業を讃美し、感謝いたします。

 

どうか私たちも、キリスト・イエスのこのへりくだる心と従順な姿勢にならわせてください。日々の歩みにおいて主に倣い、謙遜と愛をもって互いに仕え合うことができますように導いてください。私たちのうちにもキリストの心を豊かに宿らせ、あなたの御心に従って歩む力をお与えください。いついかなるときも高ぶることなく、主が示してくださった謙遜な道を歩ませてください。

 

静けさのうちに、あなたの聖なる御前でこの祈りを捧げます。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。