2023年7月30日(日)のお話は上記のお題でお話しします。
ライブ配信は下記からご覧下さい。
10時からです。
【聖書箇所】
- そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人たちを苦しめようとしてその手を伸ばし、
- ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
- それがユダヤ人に喜ばれたのを見て、さらにペテロも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祭りの時期であった。
- ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越の祭りの後に、彼を民衆の前に引き出すつもりでいたのである。
- こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。
- ヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれて、二人の兵士の間で眠っていた。戸口では番兵たちが牢を監視していた。
- すると見よ。主の使いがそばに立ち、牢の中を光が照らした。御使いはペテロの脇腹を突いて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。
- 御使いは彼に言った。「帯を締めて、履き物をはきなさい。」ペテロがそのとおりにすると、御使いはまた言った。「上着を着て、私について来なさい。」
- そこでペテロは外に出て、御使いについて行った。彼には御使いがしていることが現実とは思えず、幻を見ているのだと思っていた。
- 彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。彼らは外に出て、一つの通りを進んで行った。すると、すぐに御使いは彼から離れた。
- そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、本当のことが分かった。主が御使いを遣わして、ヘロデの手から、またユダヤの民のすべてのもくろみから、私を救い出してくださったのだ。」
- それが分かったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家に行った。そこには多くの人々が集まって、祈っていた。
- 彼が門の戸をたたくと、ロデという名の召使いが応対に出て来た。
- そして、ペテロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもせずに奥に駆け込み、ペテロが門の前に立っていることを知らせた。
- 人々は彼女に「あなたは気が変になっている」と言ったが、彼女は本当だと言い張った。それで彼らは「それはペテロの御使いだ」と言った。
- だが、ペテロは門をたたき続けていた。彼らが開けると、そこにペテロがいたので非常に驚いた。
- ペテロは静かにするように手で彼らを制してから、主がどのようにして自分を牢から救い出してくださったかを彼らに説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください」と言った。そして、そこを出て、ほかの場所へ行った。
- 朝になると、ペテロはどうなったのかと、兵士たちの間で大変な騒ぎになった。
- ヘロデはペテロを捜したが見つからないので、番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するように命じた。そしてユダヤからカイサリアに下って行き、そこに滞在した。
- さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対してひどく腹を立てていた。そこで、その人々はそろって王を訪ね、王の侍従ブラストに取り入って和解を願い出た。彼らの地方は王の国から食糧を得ていたからである。
- 定められた日に、ヘロデは王服をまとって王座に着き、彼らに向かって演説をした。
- 集まった会衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。
- すると、即座に主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫に食われて、息絶えた。
- 神のことばはますます盛んになり、広まっていった。
- エルサレムのための奉仕を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、戻って来た。
使徒の働き 12章1~25節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
神の意図には理解できない不可思議な謎が潜んでいる
聖書箇所:使徒の働き12章
先週、アンテオケにキリスト者の共同体ができたこと、そしてその共同体にバルナバがエルサレムから派遣され、信仰を守るようにと励ましを与えたことについてお話ししました。また、多くの異邦人が福音を聞いて信じたことにも触れました。このような活動により、パウロが自らの使命を聖霊によって知ったことも述べました。そして、キリスト者の働きとして支援が始まったこともお話ししました。
本日はその続きです。
政治的迫害の勢いが増します。
今回のタイトルは「神の意図には理解できない不可思議な謎が潜んでいる」です。
使徒の働き12章を朗読してこのようなタイトルとなりました。
先ずは、
そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人たちを苦しめようとしてその手を伸ばし、
ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
使徒の働き 12章1~2節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
ヨハネの兄弟ヤコブとは、イエスの変貌時にその姿を見た3人の内の一人である。
これらのことを教えてから八日ほどして、イエスはペテロとヨハネとヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられると、その御顔の様子が変わり、その衣は白く光り輝いた。
そして、見よ、二人の人がイエスと語り合っていた。それはモーセとエリヤで、
ルカの福音書 9章28~30節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
そのヤコブが、
イエスさまの弟子として最初の殉教者となります。
殉教した理由は、
教会の中のある人たちを苦しめようと・・・・ ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
他の文献を読みますと、
ヘロデ王は民に喜ばれるだろうと思って、ユダヤ人の人気取りのため、
試しに先ずヤコブを殺したと解説します。
様子伺いでしたがその見立てが成功します。
そこで最初から狙いを定めていた人物がペテロが狙われます。
それが今回の聖書箇所です。使徒の働き12章1節〜25節
朗読しましょう。
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今日のお話の項目です。
項目1: ペテロとヤコブの運命の対照
1. ヘロデ王により、ヤコブがキリスト者の共同体の中で殺される出来事が起こる。
2. ペテロも同様に狙われるが、天使によって助けられ、命を守られる。
3. ヤコブの悲劇とペテロの救出という対照的な結末について、私たちには理解できない不可思議な謎が潜んでいる。
項目2: 人生の予測不可能さと成長
1. 人生は予測不可能で、理不尽な出来事も含まれる。
2. これらの経験を通じて学び成長し、前に進むことが大切である。
3. 人生の中には理解できない出来事があり、その中に深い意味が含まれる可能性もある。
項目3: イエスさまと十字架の意味
1. イエスさまの死は理不尽な出来事として捉えられるが、聖書から十字架の目的を知ることで価値のある事を発見できる。
2. 十字架によって永遠のいのちが用意され、死で終わらないメッセージが含まれている。
3. イエスさまを信じることで、ヤコブもペテロも永遠のいのちを得たとされている。
項目4: 天使の働きと悪魔の堕落
1. 天使は神さまの御心を達成するために登場し、私たちの人生に影響を与える存在である。
2. 一方で、堕天使として悪魔、悪霊が登場し、悪意を持ち私たちを誘惑する。
3. 天使の働きや悪魔の存在は私たちには見えないが、聖書にその存在が記されている。
項目1と2について。
ペテロは助けられます。ルカはその時の出来事を詳細に描写します。一方、ヤコブはその場で刺し殺されるという短い結末を迎えます。この二人の運命の違いについては、私たちには理解できない出来事です。ペテロは天使によって命が守られますが、ヤコブは殺されてしまいます。彼らの運命の対照的な結末については、説明できる人はいないでしょう。
確かに、私たちの人生にもヤコブとペテロのような出来事が含まれていることがあります。彼らの出来事の詳細を知ることはできませんが、同様に私たちの人生も未来を予測することは難しいです。私たちには現在の状況や過去の経験から学び、進んでいくしかありません。
日常的な出来事は、継続的な日常の流れの中で起こります。これらの出来事は、私たちの行動や選択、習慣などと密接に関連しています。例えば、定期的に運動をすることで健康を維持したり、毎日学習に取り組むことで知識が増えたりするような連鎖が存在します。
しかし、時折私たちは理不尽な出来事に巻き込まれることもあります。これらの出来事は私たちの意志や行動とは関連性がなく、理解し難いこともあります。それが日常の中で起こる理不尽な出来事です。これらの出来事はコントロールできないこともありますが、それでも私たちはそのような困難に立ち向かい、乗り越えていかなければなりません。
人生は予測不可能で、時には理不尽な出来事も含まれますが、その中で学び成長し、前に進むことが大切です。これらの経験は私たちの人生に深い意味を与えることもあります。
項目3
私たちにとって理不尽と思える出来事があっても、イエスさまのことを考えると解決するかもしれません。なぜなら、私たちから見えるイエスさまの最期、十字架の死は理不尽極まりないものですが、十字架の目的を聖書から知ることで価値のある事を発見します。また、十字架によって永遠のいのちが用意されていることを知ることができます。死で終わらないメッセージが含まれているのです。
ヤコブも先のようにイエスを信じたことで殺されたかもしれませんが、同時にイエスを信じることで永遠のいのちを得たのです。
項目4
主の御使い(天使)
聖書には天使の働きが何カ所も登場します。イエスさまの誕生にもガブリエルと言う名前の天使が登場しました。天使は神さまの御心を達成するために登場します。
ここではその詳細を語りませんが、天使は神さまではありません。
崇拝する対象でもないのです。
ですが、御心を行う際には天使の働きは起用された。
きっと私たちには見えないが今も活躍している事だろう。
一方で天使が堕落する、つまり神様に逆らったとする記事が聖書にあります。
それを堕天使といって、私たちは悪魔、悪霊と言う。
明けの明星、暁の子よ。どうしておまえは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしておまえは地に切り倒されたのか。
おまえは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山で座に着こう。
密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』
だが、おまえはよみに落とされ、穴の底に落とされる。
イザヤ書 14章12~15節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
上記の文章は実在したバビロン王を指した預言です。またイザヤは「悪」の本質を書きました。
忠実な神のしもべ天使ですが、その天使が神様にとって代わろうとした罪深い根がバビロン王にも起きたのでした。
バビロン王のように高慢な性質と態度にならないように自分を戒め気をつけましょう。