心掛けることが大切です。

詩篇1篇3節

「心掛けることが大切」

 

詩篇 1:1 ①幸いなことよ②悪しき者の③はかりごとに歩まず④罪人の⑤道に立たず⑥嘲る者の⑦座に着かない人。

詩篇 1:2 ①【主】の②おしえを③喜びとし④昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。

詩篇 1:3 その人は①流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて②栄える。

詩篇 1:4 ①悪しき者はそうではない。まさしく②風が吹き飛ばす籾殻だ。

詩篇 1:5 それゆえ悪しき者は①さばきに罪人は正しい者の集いに②立ち得ない。

詩篇 1:6 まことに正しい者の道は【主】が①知っておられ②悪しき者の道は③滅び去る。

 

 

 

本日は詩篇の中の詩篇と称される箇所、1篇よりお話をしようと思います。

その前に、

先日は大阪に行ってきました。長期の滞在は大阪の新たな発見をするものでした。

1,コロナ感染者が多いものの、駅周辺のお店には人が溢れていた。

2,地下鉄御堂筋線を利用して主要な場所に移動する事がとても簡単でした。

3,店舗数が非常に多い。お出掛けにあきることがない。

毎度ながら同じ感想ですが

一方で、お祈りに覚えて下さる兄姉にお目にかかれることは大きな励ましです。

ありがとうございました。

 

仙台に帰宅して体調を壊しましたが、私の不徳の致すところです。

そのような中でも私を覚えて下さり、大切な働きにお声掛け頂ける事に嬉しく思います。

一日も早く直そうと思います。

という事で今回は収録をお休みとさせて下さい。

本当にごめんなさい。

 

さて本日のお題ですが「心掛けることが大切」です。

平素から心掛けている事と思いますが、神さまの教えとは、子どもも大人も分かるように書かれています。

決して特別なことではありません。

 

例えば、殺してはいけませんと言う教えは文字通りであって、

いかなる理由があろうとも人が人を殺めてはいけないと言うことです。

さらに、神さまが与えたであろう命に手を掛けてはいけないという教えであって、

自分自身の命も大切にするようにと教えています。

しかし残念なことに世界は正当な理由を掲げて命を奪っているのです。

きっとそれは神さまの教えでは正当ではないと言う事です。

 

ですが人は怒り、憎むことがあり、自分の心をコントロールできないのも事実です。

私が聞いたあるユダヤ人男性の話です。

彼は兵士でした。同胞がパレスチナ人に殺されるという悲惨な現場に居合わせます。

そして兵役を終え日本に来て過ごすも、その時の思いは消えるものではありません。

私と知り合って数ヶ月経ったある時、聖書のお話をする機会が与えられました。

彼は大変喜んでくれました。まさか異邦人の私から聖書の話が聞けるとは思わなかったようです。

いくどかお話をした時のことです。

何人も殺してはいけないという話に彼は意見を言います。

イスラエルの平和は兵士たちが戦って得た代償です。

その平和をパレスチナ人は奪おうとしている。

さらに語りますが、ここには書けない厳しい内容です。

彼には強い言い分がありました。ですが残念なことに命の尊厳を見いだすことはできませんでした。

 

トーラーには、目には目をという言葉があります。

つまり相手のものを奪えば、自分も同じ償いをしなければいけない。

人間社会を守るための規律であり、法律ともなりました。

極端なことですが、律法を守れない場合は血であがなうと言う事です。

ですから、旧約聖書を読むと恐ろしく、惨い話になるのだと思います。

 

詩篇の作者は、このような忌まわしいことにならぬ用、

教え(トーラー)を口ずさみなさいと勧めるのでしょう。

1,悪いはかりごと

2,諸悪の道に立たず

3,あざける者(見下す)の座につかない

 

人は弱い者です。心が支配されると間違いやすいのです。

悪は取るに足りない小さいことから始まり、

取り返しのつかない大きな出来事へと行きつくのです。

ですから、この対処としては

【主】のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむ人なのです。

 

ここが重要です。

・毎日がそのような生活であるようにしましょう。

・そのような生活が続くように励まし合いましょう。

 

私たちがそのように心掛ける精神が「流れのほとりに植えられた木」なのです。

この木は、日本で想像する自然とは違います。

つまり荒野というイメージですから地下水脈がある場所、あるいは水なし川で雪や雨が降ると流れる(ワジ)となる場所。

それを、いつもトーラーの身近で教えを受け取れる人を言います。

1,いつかは実を結び

2,その心はしおれず

3,平安と喜びが与えられる

 

と解釈して良いと思います。

 

聖書の教えを気にする。その教えを大切にする。教えを学ぶ謙虚な心の持ち主はなんと幸いでしょうか。

 

私たちは旧約聖書のトーラーが教えの中心とは思っていません。

イエスさまの教えこそがトーラーを完成させるものと信じています。

その教えは福音書や手紙などに書かれていて、

もっとも重要なのが「愛」と教えられているのです。

 

どうか、皆さまも日々、教えを口ずさむ者となりますように。

 

【祈り】

愛する主イエスさま。

本日、私たちには新しい御言葉が与えられました。それは主の教えを昼も夜も口ずさむことでした。

そして私たちはここに植えられました。

イエスさまはきっと渇く事のない水を与えて下さるでしょう。心から信じます。

世間が間違えた方向に向かおうとも、

私たちは教えから学び、正しい判断ができますように。

ここからの生涯もみ教えによって豊かな生活を体験し続けますように。

尊いお証ができるものとして下さい。

尊い主イエスさまの御名によってお祈り致します。

アーメン

 

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コメント: 1
  • #1

    佐藤多津子 (日曜日, 11 9月 2022 11:13)

    主の聖名を賛美します。
    人間は自己の価値観に基づいて正義を訴えることがあります。その動機が仕返しであることも多く、悪意に満ちることも否めません。レビ記19章18節にも、『復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。』とあります。
    詩編1編から、仕返しへと駆り立てられるならぬよういつも自分の心を見張って神様の愛で満たされて生きるようにと教えていただきました。
    メッセージありがとうございます。