死後に関する認識

[]輪廻 来世  仏教や新興宗教等
[]無 何もない  哲学
[]黄泉 一時待機場  旧約
[]王国 天国、一時的眠り 新約
今回は、この時期(2020/08/13)ともなる日本の文化・風土の「お盆」から、
死後に関する、クリスチャンの考え方について分かち合いたいと考えます。
ある動画で、前住職が語った映像を観たのですが、「あなたがたは(若い青年に向けて、)300年前に亡くなった、あなたの先祖に向けて供養をしていますか? 私は、私との繋がりがない方々を覚え、今も供養し続けているのです。
すごい、お話だなぁと思いました。
確かに、私の先祖で、300年前は誰で、どのようなepisodeがあったのか、なんて知る由もありません。
それこそ、由緒ある家、名だたる歴史人物であれば、記述もあるかと思います。ですが、多くの方はその過去を知る由もないのだろうと思うのです。
このお盆、亡くなられた方が現世に帰って来る。
これがまことしやかに(不確かに)語り継がれている。
さて、私事ではありますが、私の母親が天に召されて10年目のお盆となります。コロナ感染拡大状況もあるがために、親族が集まってとはいきません。それでも、記念会を行うことは大切と考えています。現に東日本大震災追悼会でも同じと考え継続。
なぜ、重要と思うのかを分かち合いと考えます。
死後に関する認識
1,死者を拝むのではありません。敬意を示すのです。
2,天国、御国に関する知識
前説>昔から現在に至る死後の認識
昔から人類は死を追求してきた。多くの富を得た者は、死後もあやかりたいと切に願った。
それで、死後については、人にとって希望となるものを生み出す。それが、
「宗教」と言う枠に当てはめられた。
カリスマ的指導者によって発せられる死後。死後の支配者であり、<支配者に委ねられた死後と来世>
新興宗教・イスラム教の過激派による死後感
修行・瞑想によって啓示された死後。 <自然崇拝・輪廻的思想>
仏教・ヒンズ教など
歴史的背景と伝統に基づく教え。そこから解釈される死後。
キリスト教・ユダヤ教・イスラム教など  <人生一度と復活信仰>  民族的宗教 <自然崇拝・輪廻的思想>
私たちは死者と死後に関してどのように受け止めましょうか?
1,死者を拝むのではありません。敬意を示すのです。
聖書を読み限りでは、死者を決して拝んではならないことや、霊媒をしてはいけないことの記事が書かれています。
特に神の民となった限りは、厳守する一節ともなります。
呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。申命 18:11
エジプト人の心はすさみ 私は彼らの計画をかき乱す。 彼らは、偶像、死者の霊霊媒、口寄せに伺いを立てる。イザヤ 19:3
それ自体が偶像崇拝と見做し、神が忌み嫌う行為とされる。
ところが、日本の文化(風土・風習)では、暦においても死者(仏)を拝むようになっています。
そして、拝むに至る始まりは色々で、怨念・執念による禍を恐れるがあまり霊を鎮めるための神社や寺などが納められたり、守って頂くための地蔵や仏壇・先祖崇拝、自然に対する畏敬の念で社<やしろ>などが設置される。
だけれども、聖書はこれら全てを真っ向から否定しているのです。
旧約聖書に書かれている十戒、その一節で、
あなたは自分のために彫像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水にあるものの、いかなる形も造ってはならない。出エジプト20:4
偶像のもとに赴いてはならない。あなたがたのために神々の像を鋳造してはならない。私は主、あなたがたの神である。レビ 19:4
思い浮かばせること自体も禁じられたことがわかります。
実に日本文化とは真逆の世界なのです。
ですが、亡くなった方については、特に聖書の教えを大切に捉える皆様にとって、次のように考えることはいかがでしょうか?
死者に向けては敬意を表す。
生きてきた事には、大きな意味があります。
人生の成功も、失敗も、全てに学ぶことがあります。とくに家族となれば、共感、共有し合った関係ですから尚更です。今まで側にいたはずが、いなくなることは切なすぎます。
信仰の父と呼ばれるアブラハムでさえ、妻サラがなくなった時、ひどく落ち込みました。
サラは、カナンの地のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムはサラのところへ行き、その死を悼んで泣いた。創世記23;2
またイエスもラザロの死を悼み憤りを持ちつつ泣いた。
イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、憤りを覚え、心を騒がせて、言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。ヨハネ11;33,34
イエスにとって「死」とは、望むものではなかった。 ← これも詳細を省きます。
一つ言えることは、主が愛された方が亡くなることは寂しく、悲しいものであります。けれども人生を最後まで歩き続けた功績は敬意に当たることだと考えます。
さらなる詳細については、またの機会にでもお話をしたいと思いますが、
2,天国、御国に関する知識
先日も地上における御国について学んできました。今日の話は天の御国についてです。
天の御国、あるいは天国、パラダイスですが、
死後・あるいは携挙されたところを言います。
皆様は携挙の話を聞いたことがあまりありませんね。これも別日に詳細を語ります。
今日は、既に亡くなられた方々、及び直前に死なれた方へのいき場所について、聖書からみた話をします。
【聖書】
体は殺しても、命(霊)は殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、命も体もゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。マタイ 10:28
つまり聖書では、
①人は、肉体を殺せても<死亡した>、魂(霊)<宗教的見解>を殺すことはできません。
②旧約では人が死ぬと、黄泉(一時待機所)へと教えられます。ルカ16章19節〜31節参照。新約時代では御国あるいは天国に存在している。 他眠り。
墓が開いて、眠りに就いていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。マタイ27;52
しかし今や、キリストは死者の中から復活し、眠りに就いた人たちの初穂となられました。1コリント15;20
ここで、あなたがたに秘義を告げましょう。私たち皆が眠りに就くわけではありません。しかし、私たちは皆、変えられます。1コリント15;51
私の父の家には住まいがたくさんある。もしなければ、私はそう言っておいたであろう。あなたがたのために場所を用意しに行くのだ。ヨハネ14;2
③イエスと関係しない、旧約時代の死者は何らアクションを起こすことはできない。ですが新約に生きる人たちは祈りを捧げることができる環境で応援している。
④新約時代に生きる人々が、神のみ前で敬虔・謙虚でないとすれば、聖書で言う「はぎしり」をする事になるのです。
あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されているのを見て、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。ルカ13;28
注意
しかし、個々に関する人生の良し悪しは、当人と神のみが把握していて、それ以外にわかることはないのです。
※ 私たちは、様々な人の歩みを知って教訓とすべき所です。(旧約聖書に登場する人物のように)
【聖書】
死者の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか。マタイ 22:31
死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天の御使いのようになるのだ。マルコ 12:25
神が死者を復活させてくださるということを、あなたがたはなぜ信じ難いとお考えになるのでしょうか。使徒 26:8
そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。ローマ 6:9